親父100まで生きるってよ

書くことで 自分の心も 保ちたい

家族の思い

自宅療養を続ける母のことは、できるだけ隠して生活を送っていくことにしました。 もうこの頃にはいわゆる寛解の状態であるのに、社会復帰を目指さない母が僕は嫌いでした。怠け者だと考えるようになりました。少なくとも世間は母をそう見るだろうと。 友達…

「病気だからよ」

母は2度目の退院後、自宅療養の毎日を過ごすことになりました。おかげさまで再発することもなく現在まで服薬と通院で過ごせております。 退院後の母の暮らしとしては、当時うちは兼業農家でしたので、母は畑で作った作物を収穫したり、父と一緒に作業をする…

母の見舞いと外食

母は再入院しましたが、1ヶ月くらいで病院が合わない?とか、理由はよくわかりませんが、親戚の勧めで、家から車で2時間くらい離れた病院に入院することになりました。以来、母は現在に至るまで、その病院でずっと通院でお世話になっています。 ある日、父か…

劣等感の始まり

再入院となった母は、家から最も近い病院に入院することとなりました。その病院は当時建物が古く、窓に格子があって「中には変な人たちが入院している」などと言われているところでした。 でもたぶんこの頃の精神科って時代的にどこも同じようなイメージを持…

再発と救急車

年末に退院して自宅療養となった母は、意外に?落ち着いた様子で半年くらい自宅で普通に過ごしていました。母はその間にパートに行き始めていました。 もう元通りだと思って過ごしていたある日の夜中、父に起こされました。1階に行くと母は泣いていて、何か…

退院してほしい理由

母の入院から半月ほど経過した時、父から、母を年末までに退院させてくるという話を聞きました。 最初は3ヶ月かかると聞いていたので「もうお母さん治ったの?」と聞くと、父の返事は「年末だし、家事がたいへんだから」というものでした。(え?それ大丈夫…

母の発病と最初の入院

昭和61年の11月下旬だったと思います。僕は小学生でした。当時うちの家は、父、母、祖父、兄、僕の5人で暮らしていました。 いつもどおりに起床して階段を下りていくと、階段の下で泣いている母がいました。その横に困った様子の父がいて。 母は「おじいさん…

自分の姿勢

何はなくとも、まずは自分の姿勢から話しておきたいと思いまして、これを書くことにしました。 今現在、障害に対する僕の姿勢としては「この障害に関わったことで自分自身が成長することができた」などと思っています。もちろん最初は1ミリもそんなこと思い…