親父100まで生きるってよ

書くことで 自分の心も 保ちたい

劣等感の始まり

再入院となった母は、家から最も近い病院に入院することとなりました。その病院は当時建物が古く、窓に格子があって「中には変な人たちが入院している」などと言われているところでした。

でもたぶんこの頃の精神科って時代的にどこも同じようなイメージを持たれてたんじゃないかなあ、とも思うんですが、まだ小学生だった僕は(あそこに行くってことは、じゃあ、うちのお母さんも変な人なのか)と思わざるをえませんでした。たしかに母の状態は僕の目から見ても変でしたから、否定しようがない現実を叩きつけられたような気がしていました。

また、苦手な家事を残った皆で何とかやりくりする日々にも疲れていきますし。そういう毎日を過ごすうちに(そうか、じゃあ俺は変な人の子供なんやな)と思うようになりました。そして(たぶん他人は俺をキ〇ガイの子とか思ってるんやろな)とも思うようになっていきました。

今にして思えばただの被害妄想みたいなもんなんですけど、やっぱりこういうのって一度は通る道なのかな、とも思います。特に病人が親の場合。今でもふとした拍子にそう思うことがありますし。いわゆる「普通から外れた」みたいな劣等感のようなものからこうなってしまうんじゃないかと思うんですけど。

だからできるだけ病人のことは話題にしたくない。意識的に隠してるわけじゃないんだけど、自然にそうなってしまっている。そんな状況も経験したのでよくわかります。

でもたぶん、多くの人はそんなことには興味がないのが正直なところで。その何も考えてないところにフッとそんな話題が来た時には、当たり障りのないことを言ってその場をしのいでるだけなんじゃないかなーと思います。

 

ある日の下校前、担任の先生が突然クラスの皆に向けて「gonta君のお母さんは今、難しい頭の病気で入院しているそうです。だから皆、gonta君を励ましてあげましょう」みたいなことを言いました。

たぶん何かで父から聞いたんだと思いますけど、もちろんこの先生に悪気もなかったんでしょうけど、僕は(皆に知られてしまった)と思って、机に突っ伏して泣いてしまいました。そして(こいつ何皆にバラしてんの?こういうことって先生だけ知ってて隠しておくことじゃないの?!)って、すごく腹が立ったことを覚えています。

 

でも、この件のおかげで開き直ることもできました。(どうせ皆、遠慮して何も言ってこない。だったら俺から言ってやるわ)って。

「俺のお母さん、これこれこうでたぶんキ〇ガイなんやけど、将来俺もそうなるかな?」って聞いて「なる可能性は高いかも」って答えたのが2人いたんですが、その2人は今でもずっと信頼のおける友人でいてくれています。