親父100まで生きるってよ

書くことで 自分の心も 保ちたい

家族の思い

自宅療養を続ける母のことは、できるだけ隠して生活を送っていくことにしました。

もうこの頃にはいわゆる寛解の状態であるのに、社会復帰を目指さない母が僕は嫌いでした。怠け者だと考えるようになりました。少なくとも世間は母をそう見るだろうと。

友達も家には呼ばない。母の存在がバレてしまうから。たぶん皆知ってるんだけど、できるだけ隠すことにする。学校にも来なくていい。恥ずかしいから。

母のことはできるだけ話題に上らないようにする生活を心がけていました。

 

・・・今思えば、母は自分のことで精一杯であったことも理解できるんですけどね。でも、見た目は普通に見える母に対する他人の視線が怖かったんじゃないかと思います。精神の病気って、五体満足で見た目も普通と変わらないという事実が、周囲の者を焦らせてしまうのではないかと思います。どれくらい治っているのか、前に比べてどれだけ楽になっているのかとかも、骨折や傷なんかと違って目に見えませんし。だから母も「病気だからよ」と言うしかなかったんじゃないかと。

この目に見えないものに対して、僕ら周りの者はどうしたらいいのか?って、この頃はずっと考えていました。

いくら考えても答えは出ません。出ないのにまた考えてしまう。

これ、僕らはずっと何かを間違ってるんじゃないか?どこかに正解があって、僕らはそれを見つけられてないだけなんじゃないか?もしそれを見つけられたら、また元通りの生活が戻ってくるんじゃないか?って思ってしまうから。

 

こういう思いが当事者のみならず、周りの家族をも苦しめてしまうのが、この病気の厄介なことろだと思っています。